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<ナリワイインタビュー チャレンジ編>no.23 佐々木好美さん 前編

ナリワイインタビュー第18回目からは、今年(2016年度)、鶴岡ナリワイ実践道場に参加し「ナリワイづくりへのチャレンジ」を行なっている方々にお話を伺っていきます。

ナリワイインタビュー23人目は、会社員のかたわら、第二の人生をみすえ小さな一歩を踏み出しはじめた佐々木好美さんに伺いました。

仕事のかたわら洋裁学校へ

旧八幡町出身の佐々木さんは、高校卒業後、宮城県内の電子計算器専門学校へ進学しました。 卒業後は、酒田市の会社へ就職し、事務・現場をかけもち、加えて同じ敷地内にあったコンピュター会社の業務も担当。 多忙な社会人生活をスターとさせます。その後、当時憧れのキーパンチャーの仕事に就きますが、残業が多かったため、現在勤務する土木建築サービス業の会社へ転職しました。そこで主に事務・経理などを担当しています。

2番目の職場で残業をしている時、先輩達は皆予定があるからと、仕事を早く切り上げるのに、自分にはその理由が無いことに気づき、これは何か用事を作らないとと、市内の洋裁学校へ通いはじめました。 そこで3年近く、洋服・ブラウス・スカート・コートなど作ることを学びました。

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 子育てと洋裁

3番目の現在の職場へ移られてからしばらくして、職場で知り合ったご主人とご結婚、息子さんが生まれます。息子さんが大学進学のため地元を離れるまでは、家庭と仕事、主にお子さんを中心とした生活が続きました。息子さんが幼少の頃は、保育園のお昼寝セット(布団カバー)、小学校の入学準備にバックを作ったり、食卓傘(蝿除けの網)などが切り裂けてきた時など、手ぬぐいを当てて補修されるなど、暮らしの中で、学んだ洋裁をいかし、楽しんでいました。

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子離れと自分を見つめる時間

息子さんが高校を卒業され、家を出ると、野球部への送迎・試合観戦・ユニフォームの繕い物等に割いていた時間が、ぽっかりと空いてしまいました。 帰省した息子さんを見送る時「泣いたら良かったのだけれど、ガマンしてしまって。。。」1年目は気を張っていたけれど、2年目になると、日々の生活の中で、何かの拍子に抑えていた自分の気持ちが溢れ出してしまうこともありました。

「泣きたい時に、自分を出さなかったのが悪かったのかな~」と、当時の事を振り返ります。 子離れ出来ず気持ちが少し不安定になった時期を機に、子育て終え、遅かれ早かれいずれ退職する、その後の自分の人生についても真剣に考え始めました。

例えば、子育て中は、ツタヤでDVDを借りるにしても、事前に面白いと分かっていて、「これ」って決めた物しか借りなかったのが、自分の時間を持つようになってからは、ぶら~っと自分の好きそうな物を物色。 「面白くなくてもいいか」「見てみねばわかんね」と思うようになったそうです。こんなふうにゆっくりと、小さな変化がうまれはじめます。

オリジナルの「手ぬぐい頭巾」誕生

図書館にも行くようになりました。本以外にも雑誌や手芸の本などもあることを知ります。農家さん用のアイテム「手ぬぐい頭巾」の本を見つけ、退職後、家庭菜園をしているお母さんが、農作業時に手ぬぐいをかぶっているので、「手ぬぐい頭巾を作ってみっか」と、思い立ちます。

買い置きしてあった手ぬぐいで、少し改良しながら作った試作品を、お母さんに使ってもらったところ、好評でした。 「母親のお友達からも試作品は喜ばれましたが、身内だとコメントが甘くなると思い、職場の同僚のお母さん(Tさん)に、これ、使ってもらわいねろが? どげだが電話で聞かせてもらいで」とアンケートも付けて、話を持ちかけます。 Tさんは、家庭菜園・縫い物もされ、ご自身の作品も販売されているプロでした。 色んな方たちから頂いたアドバイスを参考にし、佐々木さんのオリジナル「手ぬぐい頭巾」の形が少しずつ形になっていきました。

その後、Tさんが、手首を骨折されて手術したときは、冬だったので、手首を冷やさないようにと、家の中でも着用できるようにと、編み物にはまった時期に作ってあった指無しの手袋をプレゼントされたりしました。

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そして迎えた2016年春。 普段はテレビ欄だけ見て終わる荘内日報を、その日はパラパラとめくって読んでみると、「鶴岡ナリワイプロジェクト実践道場」説明会の記事が目に入りました。 「聞くだけはタダだ」「聞いて見ねばわがんね」と、思い切って電話をかけました。旦那さんも「行けばいいぜ」と快く送り出してくれました。

(ライター:五十嵐淳子)

後編に続く


佐々木好美さん 50代 旧八幡町出身 酒田市在住


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