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<ナリワイインタビュー チャレンジ編>no.24 五十嵐淳子さん 前編

ナリワイインタビュー第18回目からは、今年(2016年度)、鶴岡ナリワイ実践道場に参加し「ナリワイづくりへのチャレンジ」を行っている方々にお話を伺っていきます。ナリワイインタビュー24回目は、1人でもカンタンにできる「星壺カウンセリング」を始められた五十嵐淳子さんにお話を伺いました。

アメリカに憧れ、移住を目指した20代

鶴岡市出身の淳子さんは地元の高校卒業後、広島にあるアメリカの大学の分校へ進学。1年間学んだ後、アメリカ合衆国に渡り、ニューヨークの短期大学に進学します。

「高校を卒業したら実家から出たくて、とにかく遠くに行ってみたかったんです。元々本が好きだったので、海外で書かれた本を原書で読んでみたいという想いや、マイナスの出来事も多いけれど、それらを上回るパワーがあるNYに惹かれ、留学を決めました」

NYの空港に降り立った時、全身の毛穴が開くように感じたと淳子さん。ジャングルって、こんな感じなのだろうかと思い、今まで使っていなかったような感覚が目覚めていくようでした。

16523116_742599032560531_1626536387_o 淳子さんが住んでいたニューヨーク州ブロンクス

広島の学校時代の友人が一緒に学んでおり、身近にはパワフルな人が多かったため、ニューヨークでの学生生活は楽しかったと淳子さんは振り返ります。しかし、留学費用が足りず、短大卒業後に帰国。鶴岡で留学資金を稼ぐために働き、今度は、ハワイの大学に進学します。「大学進学のために英語を習ったりするのをE S L(第二言語としての英語)というのですが、その時に出会った先生がとても素敵な方々でした。ESLの先生たちは、課題に対しては厳しいのですが、試験の時は好きな所に座っていいよと言ってくれたり、試験の最中にアメを配ってくれたりして、日本の中学校や高校の先生とは違う、個人としての付き合いがあるように感じられました。私は新聞部で活動していたのですが、同じようなミスを繰り返しても嫌な顔一つしない、そういう方が多くて、私もESLの先生になりたいと思うようになりました」

ハワイの大学で、大学進学前の生徒に英語を指導するESLの教師目指し、勉強していた淳子さん。学部はとても自由な雰囲気で学びたい科目を自分で選んで自由に学べたと言います。 「生徒に成績をつけさせる先生もいました。『私が成績をつけても、君たちが社会に出た後にそれは全然関係ないから、どれぐらい勉強したか、どれぐらい自分に身についたかは自分で判断しなさい』という方でした。日本とは違う感覚の先生もいて驚きました」と淳子さんは振り返ります。

ハワイの大学で夢中で勉強していた淳子さんでしたが、もう少しで卒業という時、体調に変化を覚えます。

入院、療養生活の中でのチャレンジと挫折

手術で悪い所は取り除きましたが、退院後、他の人は徐々に体力が戻っていくのに、元気だった以前のようには中々戻りません。淳子さんは体力を戻すため、手話や色々習い事をし始めました。

その内の一つ、鶴岡市の市民活動のボランティアでは、現在活動している公益のふるさと創り鶴岡(http://k-tsuruoka.com/)の前身のようなことをしていました。街づくりに関わる有償ボランティアです。新聞で埼玉県春日部市に、街のお店のシャッターに壁画を描いて、その地域一帯を元気にするという活動をしている方がいると知って、その方の講演会を企画し、講演会の後は、銀座通りや山王通りに壁画を描くプロジェクトをしようと動いていました。講演会の後は、友人と一緒に銀座通りのおもちゃ屋さんに天使の絵を描きました。

16559411_742599202560514_646078707_n淳子さんが参考にしていた春日部市の壁画

しかし、様々なことに挑戦しつつも、体力との兼ね合いで途中やめざるを得ないときもあった淳子さん。どう体を戻していったらいいのか悩んでいる時に、趣味のサークルで出会ったお友達や、まちづくりを一緒にやっていた仲間が話を聞いてくれたのに救われたと振り返ります。その時、いつか自分も誰かにそれを返していけるようになりたいと感じたそうです。

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「心惹かれるもので出来そうなことを探しては試すの繰り返しで、何事も初めてのことは体力配分がわからず、体調を崩したりしましたが、その中で体と相談しながら毎回ペースを掴んでいきました」と淳子さんは振り返ります。

後編に続く


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