ナリワイインタビュー第15回目は、2014年に「ヒーリングサロンrikka」を立ち上げた風間慶子さんにお話を伺いました。
美容師として勤務した10年間
鶴岡市出身の慶子さんは、高校卒業後、美容師を目指して東京の美容専門学校に進学します。美容師の資格を取得した慶子さんは新宿の美容室で4年間、その後鶴岡に戻り鶴岡の美容室で6年間勤めていました。
「中学生の時に阪神淡路大震災があり、テレビに映る仮設住宅で暮らすお年寄りが大変な思いをしている姿を見て、一緒にいてあげたいという気持ちになったんです。大変な想いをした人の辛い気持ちを聞いてあげて、その気持ちに寄り添うような仕事がしたいと思うようになりました。その一方で、母親が美容師だったので美容師に憧れる気持ちもあり、美容師を目指して上京しましたが、どこかで人に寄り添う仕事がしたいなという気持ちも持ち続けていたように思います」と慶子さんは振り返ります。
「東京の美容室で働いていた時、マッサージ師のお客さん何人かに『あなたの手はすごくいいからマッサージ向いているよ』と言われていて、いつかマッサージの仕事をやってみたいと思っていました。鶴岡に戻ってきて、通い始めたマッサージの先生にタイ古式マッサージや足つぼをマンツーマンで習いました。仕事にしようとまでは思っていなかったのですが、鶴岡で勤めていた美容室にエステ部門があり、その担当者が産休に入っていたので、エステ部門をやってみないかと声がかかり、エステも勉強し、美容室で担当するようになりました」
子育てと仕事の中での葛藤
その後結婚し、長男が誕生。しかし、職場にはエステの担当者が慶子さんしかおらず、出産した2ヶ月後には仕事に復帰。長男を三川町に住む旦那さんのご両親に預け、働いていた慶子さんは「絶対休めない、代わりがいない」プレッシャーに押しつぶされそうになり、退職を決意します。
退職後、パート勤めをしながら、独立しエステサロンを開業した先輩の手伝いなどをしていた慶子さんは、「子どもの具合が悪くなった時に休ませてもらえる」パートタイムの仕事に安心感を感じながら、自分がいなくても回る仕事に物足りなさを感じるようになったと振り返ります。
そんな中、次男が誕生し、4世代同居のため、旦那さんの実家を建て替えていた慶子さん一家は新居に引っ越しをします。新居で「旦那さんの祖父母・両親」と一緒に暮らす予定だった慶子さんでしたが、旦那さんの祖父母が体調を崩し同居できなくなりました。新居に空き部屋ができたのをきっかけに「ゆくゆくはサロンを開業したいと思っていたけど、この部屋が空いて、思ったより早くそのタイミングが来たのかもしれない」と考えるようになりました。
慶子さんのご主人が、慶子さんがせっかくボディケア等の資格を持っているのに、生かさないのは勿体無いと考えていたこと、子ども達も慶子さんに外で働くより家にいて貰いたいと思っていたことなどもあり、2014年5月に慶子さんは自宅の一室を使用し、「ヒーリングサロンrikka」をオープンします。
自宅の一室を解放したサロン
自身の子育て体験から開いたサロン
「長男を出産する前は、『子どもができたらすごい幸せになれる』というイメージがありました。でも実際に生まれてみたら真逆で、何にも面白くない、辛いばっかり。なんでこんなに辛いのだろうとギャップがすごかったです。すぐに仕事に復帰したのもあって、子どもが泣いてばかりで、私は子どもが泣くたびにビクビクしていて、すごく辛かった。また出産後は、体も辛かったのに、子どもを預けてまでマッサージに行くのはどうなんだろうと思って行けなかったんです。私みたいなお母さんきっと沢山いるだろうと思って、そういう産後のお母さんをケアしたいなという気持ちが強くなりました。それで産後のお母さんのためのサロンをしようと開業したんです。」
鶴岡ナリワイプロジェクトとの出会い
サロンをオープンした2014年、慶子さんはさまざまなイベントに出展し、PR活動を始めました。自分自身を売り込もうと思い、声がかかるものにはなんでも参加していた慶子さんは、齋藤智子さん(現、事務局)から鶴岡ナリワイプロジェクトに誘われます。
「智子さんから、『鶴岡ナリワイプロジェクト、昨年参加してすごく勉強になったから興味あったら説明会に参加してみるといいよ』って誘われました。私は、自宅に畑があったり梅の木があったりしたので、お茶を作ったり、梅干しや梅シロップを作りたいと思ってナリワイプロジェクトに参加しました。そういう手仕事みたいなことをする子育てグループを作れたらいいなと考えていました」
(後編へ続く)
風間慶子 鶴岡市出身 35歳
ご主人、ご主人のお母様、6歳、3歳、1歳の男児の6人暮らし
「ヒーリングサロンrikka」経営
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