ナリワイ女性インタビュー第12回目は、2014年に「Salon de ROSA」を立ち上げた田林由美さんにお話を伺いました。
鶴岡市みどり町出身の由美さんは、高校卒業後、家業の手伝いをしながら地元の洋裁学校に2年間通い、20歳の時、旧櫛引町黒川地区に嫁ぎます。嫁ぎ先は兼業農家でしたが「農家はしなくていい、来てくれればいい」と言われて嫁ぎ、嫁に行ってからも手伝えと言われたことはありませんでした。
自然の中での暮らしと子育て
「結婚してから花を植えるのにはまりました。ポットやプランターに植えた苗がすごくきれいに咲くのが嬉しくて面白くて、そのうちハーブにもはまって自分でもハーブガーデンをやりたいなと思うようになりました。ラベンダーを植えたり、カモミールからお茶を作ったりしているうちにお義父さんが畑仕事を教えてくれるようになり 、そしたら野菜づくりにも興味が湧いてきました。1mmもないような種から一つのキャベツができ、それを食べることができるというのはすごいと感じ、植物を育てるのが楽しくて農家を手伝うようになりました。周りからは珍しい嫁って言われてました」
手作りの食べ物に囲まれて暮らしていた子育て期は、今考えるととても贅沢な暮らしだったと由美さんは振り返ります。
長女25歳、長男23歳、次男21歳、三男17歳(2016年3月現在)の4人の子どもを育てあげた由美さんは、子育て中も実家の手伝いで事務の仕事をしていました。三男が生まれた時には、興味を持ち始めていたお花の仕事をしたくなり、旦那さんが休みの日にお花屋さんで働いていました。「旦那さんのお母さんは自分の子どもは自分で育てなさいという考えで、私は子どもを育てながら働いていました。子育てをしながらも、パンを作ったり、ハーブを勉強したり、したいことをさせて貰えて必要な時には協力もしてもらえたのでありがたかったです」
子育ては苦ではなかったと振り返る由美さん
思い悩んだ時期
しかし、長女が高校2年生になった時、これまで順風満帆だった由美さんの家庭に嵐が訪れます。
「娘が精神的に不安定になってしまって、不安で私を追いかけてくるようになりました。どうしようかと考えていた時、ガスの検針員というお仕事の募集を見かけ、それなら自分で動くことができるし、娘がついてきても連れて行けるからと始めました。」
不安定な長女、家の中では頻繁に争いが起こるようになっていました。そんな中、由美さんや娘さんを支えていたのが旦那さん。娘さんが、具合が悪くて学校に行けない時、一緒に時間を過ごし支え続けました。その支えもあって、娘さんは無事高校を卒業。その後「栄養士になりたい」と東京の専門学校に入学します。その時、東京に娘を送り出した由美さんの心中は、子どもをガケに落とす虎の親の気分だったそうです。
「入学式の時に、『やっぱり一緒に帰る』と言って娘は泣きました。『東京の一人暮らしで、もしかしたらこの子は死んでしまうかもしれない』そう思いながらも娘を東京に置いてきました。あの時、『じゃあ一緒に帰ろう』と言って連れて帰っていたら、あの子は立ち直らなかったかもしれない。だけど、心を鬼にして置いてきたから、なんとか立ち直ってくれたのかなって思います。この時、フットセラピーを習っていたら娘のケアをしてあげられたのに、と今思うことがあります。だからこそ、悩んでいるお母さんたちのお役に立ちたいと思うのかもしれません。」
現在、由美さんはお母さん達向けにフットセラピー教室を開いています
フットセラピーとの出会い
長女が専門学校を無事卒業した2011年3月11日、東日本大震災の当日、由美さんは卒業式に出席するため東京に来ていました。
「その日、東京の池袋で謝恩会があって、会場のホテルにいた時に地震がありました。電車が止まってしまって帰れないのでそのままホテルの床の上で寝させてもらいました。震災の時、自分が何も出来ないことに無力感を感じました。道具もなにもなくても私にできること…そういうことがないか考えて続けていたのが現在の活動に繋がったように感じています」
その後、由美さんは知人に誘われたイベントでフットセラピーの先生と出会います。
「次男がサッカーをしていて足がボロボロだったので、息子にやってあげたいと思ってフットセラピーを習いだしました。習っていくうちに、足だけじゃなくて頭も、手も…どうせなら背中もやってあげたいなと考えるようになりました。色々勉強していくうちに東京で勉強したくなって東京で研修を受けました。でも当時は自分でサロンを開くなんて考えもしなかったです」
(後編へ続く)
田林由美さん
鶴岡市みどり町出身 40代 ご主人、長男、三男の4人暮らし
ボディケアサロン「Salon de ROSA」経営、お母さんのためのフットセラピー教室開催
[contact-form-7 404 "Not Found"]