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<ナリワイインタビュー>no.7黒澤由希さん 前編 

ナリワイインタビュー第7回目は、今年の3月に鶴岡市にUターンし、東京と鶴岡で仕事と「ナリワイ」を組み合わせながら仕事をしている黒澤由希さんにお話しを伺いました。前篇では由希さんが鶴岡にUターンしてくるまでのことを紹介します。

由希さんは高校卒業後、秋田大学教育学部小学校過程に進学しました。当初は教師を目指していましたがファッションの仕事をしたいという夢を諦められず、大阪のアパレル会社に就職しました。「反抗ばかりして、田舎や親から離れて自立して暮らしたかったというのも本音といまでこそUターンし両親と暮らしていますが…」と笑いながら話してくれました。

ファッション業界に関連があって、しかも時代を超えて身につけてゆけるものに携わりたい。人から人へ思いを受け継いでゆけるものはないだろうかと探し始めました。ジュエリーがそうかもしれないと思った由希さんは、仕事をしながらジュエリーコーディネーターの資格を取得し、宝石鑑定の学校へ通い始めました。本当は、ブラックカルチャーに根ざしたテイストのジュエリーに携わりたかった由希さんが、転職活動で採用してもらえたのは真逆の、清潔感たっぷりの上品な高級ブランドの販売員でした。

自分の個性と全く逆だったので、そこでの経験はかなり鍛えられたと振り返ります。「初めは、『あなたの個性を全部消しなさい!』とか『まゆげをもっと太く書き直してこい!』と毎朝、朝礼で店長から怒られました。反発もしましたが、恐すぎる上司だったので言う事をきいてみたところ、なんと販売成績が伸びていったんですよね」。

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真面目に仕事をし始め、周りを観察していくと、喜ばれる接客とそうでない接客の違いがだんだん感覚の中で分かってきました。「販売員って誰でもなれると思っていたけれど決してそうじゃないんだ」と思い、職場の仲間にもこの違いを伝えられるようにと“購入していただける接客、購入していただけない接客”の論理を組み立てたかったという由希さんは、営業セミナー等に積極的に参加しました。学習するとともに成長もでき、やがて売上改善の仕事を任されるようになりました。

しかし時代の流れもあり、当時暮らしていた大阪ではジュエリー業界の状況はとても厳しいものでした。「このまま会社にいて悶々とするのは嫌だ。ジュエリーやるなら東京に行こう!」と思った由希さん。接客をしながらお客様の前でデザイン画を描く仕事をみつけ、横浜に引っ越しました。そこの会社とも相性がよく、販売員としての芽を大きく開いてもらったと振り返ります。良いところに転職できて充実した日々を過ごしていました。しかし約3年が経ったころ、あるトラブルが起こります。ある日突然、接客中にぷっつりと頭が真っ白になってしまい、そのまま倒れてしまったのです。早朝から終電間際までのハードワークや任されていた任務、そして売上予算達成を目指す日々のストレスが蓄積され、心身ともに疲労困憊していたんだろうなと振り返ります。その頃はストレスを毎日の深酒でごまかす日々を過ごしていました。

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起きて出勤しようとしても足元がふらついてしっかり歩けない。「出勤しなきゃ」と支度をする由希さんを見て、ご主人が「無理しすぎなんじゃないの?由希ちゃんがいなくたって会社なんかつぶれないんだから、大丈夫だから休んだら」と言ったそうです。そこでやっと思い切って会社を休むことができました。その後はしばらく会社に出勤できず、病院で何度も検査を受けたのですが、身体はどこも悪くなかったそうです。しかし、明らかに具合が悪かったと由希さんはいいます。ペットボトルの蓋をあけることもできないほどのひょろひょろの状態でした。でも会社に診断書の提出が必要だったため、原因を見つけないといけません。「ここなら何か診断してくれるだろう」と向かったのが診療内科でした。そこで“適応障害”と診断されたそうです。「鬱でもないし、身体の病気でもない。でも明らかに仕事のストレスが原因だと思うので適応障害と診断しました。会社から離れることをおすすめします」と医師に告げられ、やむなく会社を退職しました。

半年位休養し、徐々に回復してきた頃、接客の仕事の誘いを受けて働いたりもしましたが、どうしても接客ができなくなっていました。以前は楽しみながらできていた仕事なのに、頑張らないと笑顔は作れなくなっていました。そこで、塾の講師やパソコンでできる仕事など、無理をしなくてもできる仕事をクラウドワーキングで探して在宅ワークをするようになります。「自分のペースで働けるなんて、家でできる仕事っていいなぁ」と思った由希さん。それから1年半ほどたち、Uターンする直前に元気になってきたので、もう一度がんばってみようと思ったそうです。現在は在宅でジュエリーデザインの仕事や、国内ジュエリー店の販売員育成の仕事を行っています。また月に数回は上京して会議に参加したり、お客様からオーダーをいただいたりしているそうです。かつて「東京に行く期間は家事ができなくて家族に迷惑かけるから、今の仕事やめて鶴岡で職探ししようかな」と旦那さんに相談したところ、「せっかくのチャンスだから頑張ってみたら」と応援してもらったそうです。家族にはとても感謝しているとのことでした。(後編に続く


黒澤由希さん
鶴岡市出身 30代
ご主人両親と4人暮らし
仕事:ジュエリーデザイナー、接客販売インストラクター

HAYASE
http://hayase-gem.com/


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