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<ナリワイインタビュー チャレンジ編>no.21 山崎恵美さん 前編

ナリワイインタビュー第18回目からは、今年(2016年度)、鶴岡ナリワイ実践道場に参加し「ナリワイづくりへのチャレンジ」を行っている方々にお話を伺っていきます。ナリワイインタビュー21回目は鶴岡市藤沢地区で実家の畑でのナリワイに取り組む「すくすくやさい畑」の山崎恵美(えみ)さんにお話を伺いました。

朝から晩まで働いていた20代

鶴岡市出身の恵美さんは、高校卒業後、栃木県宇都宮市の大学に進学。就職氷河期でなかなか就職が決まらず、かといって地元には戻りたくなかった恵美さんは、大学卒業後、宇都宮市内の企業に就職。社員15名ほどの会社で、求人紙を作る仕事をしていました。

「求人チラシや冊子をデザインソフトで作っていました。チラシは毎週、冊子は毎月発行していたので締め切りに追われて、毎日夜中3時頃まで働くこともありました。仕事の他にも、社内行事や社員旅行があり、ソフトボール大会などもあって、体育会系な雰囲気と残業が当たり前の社風に馴染めずに辞めていく人も多かったです」

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会社から勤続表彰を受けた恵美さん

平日・土曜日は深夜まで残業。休みの日は1日寝ている。そんな状況で周りの人がどんどん辞めていく中、恵美さんは働き続けました。

「求人紙制作に3~4年携わった後、途中から営業職に変わりました。求人が必要無い時には、企業は広告を出さないものですが、私たちは紙面を埋めなければいけない。色んな会社に求人広告を出してくれないかと飛び込みで営業に行きました。紙面が埋まらないと帰れない。それが毎週のように続きました」と恵美さん。

厳しい労働状況の中で、「この仕事を辞めても次の仕事が見つかる保障はない。仕事が無ければ、実家に帰らなければならない。それはできれば避けたい」そんな状況だったと恵美さんは振り返ります。

30代で訪れた二度の転機

そんな働きづめの恵美さんでしたが、勤続9年目に転機が訪れます。

「学生時代から付き合っていた現在の旦那さんが、静岡県に転勤になったんです。それでついていくことになり、仕事を辞めて結婚することになりました。静岡に行ってからは子どもも生まれ、専業主婦になり、家事・育児をしながら、学生時代から興味があった着付けを習い出して、働き出してから初めて趣味の時間を過ごしました」

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静岡時代、着付け教室の方々と撮影

長男を出産し、静岡で家族三人落ち着いた日々を送っていた恵美さんでしたが、またしても転機が訪れます。

「私の親が農業をやっていて跡継ぎがいないので、親の代で終わってしまうということを聞いた旦那さんの両親が『それは勿体無い。もし農業を継ぐ気があるなら、若いうちに鶴岡に行った方がいい』って言い出したんです。でも私も、両親も今すぐにとは思っていなかった。そうしたら、旦那が突然『仕事を辞めて農家になる』って言い出したんです。実家は二世帯の準備もしていないし、私は帰るつもりもなかったけど、わざわざ鶴岡まで来て農家の実家を継いでくれるという旦那さんの気持ちを無下にするわけにもと思い、2014年6月鶴岡の実家に家族で引っ越しました」

後編に続く

15218286_1117009508397069_1699798818_n恵美さんの5歳の息子と2歳の娘


山崎恵美 30代 鶴岡市藤沢地区出身・在住(Uターン)
ご両親、ご主人、5歳の息子、2歳の娘の6人暮らし

「すくすくやさい畑」FBページ
https://www.facebook.com/sukusukuyasai/?fref=ts


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