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<ナリワイインタビュー>no.9 井東敬子さん 後編

東京から鶴岡に移住し、様々な人や地域と関わる中で鶴岡ナリワイプロジェクトを立ち上げた井東敬子さん。前編ではこれまでの半生をお聞きしましたが、後編では鶴岡に来てからのこと・これからのことをお話しいただきました!(前編はこちら

なぜ、鶴岡に移り住みましたか?

実家が上山市だという敬子さん、いつかは山形県のどこかへ戻りたいと思っていたとか。とりわけ、白鳥が空を飛ぶ庄内に憧れがあったといいます。そんな折り、敬子さんのパートナーが出張で庄内を訪れます。自然あそびをさせてくれる保育園があるので即申込みしたところ、東京と違いすんなり入園が決まったそう。「それじゃぁ鶴岡に行ってみよう」ということで引っ越ししたといいます。

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「深く悩まず、直感で動いています。それは、ホールアース自然学校時代の下積みがあるから、なんとかなると思えます。でたとこ勝負!これから先のこともあまり決めていません。自然学校時代、毎日森のなかにいたので感覚が研ぎ澄まされました。20歳から旅行会社で添乗員をしていて、ずっとトラブル対応。そういうものの積み上げきたられている。」と思います。

ファシリテーション力はどこで学んだのですか?

自然学校時代です。行政からの依頼で、自然ガイド養成もしていました。また、文科省や各省庁と民間団体が連携して、自然体験活動を増やしていく社会運動に、かかわらせてもらった際、混沌とする話し合いをまとめていく諸先輩のやり方を間近で見させてもらったことが、今につながっています。学ぶ教科書もなかったので、現場で見よう見まねで学びました。

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鶴岡に勢いで来ましたが、知り合いもいなければ、仕事も全然ありませんでした。ある日、鶴岡市役所の方が、どうも変わった人たちが引っ越してきたと会いに来てくれました。市役所の方が持ってきた企画書に「忌憚のないご意見を」と即され、忌憚なく話したら、「じゃあ、あなたやってください」と言われ鶴岡食文化女性リポーター立ち上げに関わり、その後、鶴岡食文化産業創造センターをお手伝いすることにしました。このあとがナリワイプロジェクトの前進の話に繋がるわけです。

仕事がなかったので、頼まれごとを一生懸命続けていきました。

ナリワイプロジェクトについて

ナリワイプロジェクトは、トヨタ財団と鶴岡市とよいパートナシップが組みながら、進んでいると思っています。行政には、陳情書ではなく、企画書を持っていく文化を作りたいです。

事務局メンバー写真

敬子さんは、何かあると「サインが出る」といいます。同じことがたてつづけにおこる、それはサイン。自然と一緒だといいます。そのサインを見逃さないで考え、次の手を打つ。本気になっていて見てれば、必ずサインは見える。

「物事は、真剣にやればできる。それを、「いいや」と思った瞬間に上手くいかなくなる。クライミングと一緒ですね。登っているとき「落ちる」と思った瞬間に落ちる。「落ちない」と思ってあきらめないで登っていく。それといっしょ。
サインは必ずある。それに気づくか気づかないかの違いです。
来年くらいまでに「普通の人が動きだせるしくみ」を作り、それをやりたい人という人に伝えていきたいと思います。私の役目はこのしくみを作ることです。

ナリワイをしてみようという人へのメッセージ

失敗を恐れず、まずやってみればいいんじゃないって思うんです。
「あなたにとっての失敗って何ですか?失敗して失うものは何ですか?」多くの人は自分のプライドだったり、他者の評価だったりしたりします。はっきりしているのは、このまま何もしなければい、あなたの未来は今の延長線上にあります。行政も政治もあなたが欲しい未来はつくってくれないんです。

行動にはリスクは有りますが、やらないことにもリスクはあります。選ぶのは自分です。自分がやりたいと思うならやってみればいい。人の能力はあまり変わらないと思います。つまり、その気になったらある程度できます。

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(メイク:まつだわこ・photo:東海林晴哉)

失敗ってなんだろうと考えることで、実は凄く些細なことにとらわれていたり、自分で自分の可能性をつぶしていたりするんです。ホールアース自然学校の創立者、広瀬さんに「自分の可能性は自分でつぶすな」と言われたことを思い出し涙ぐむ敬子さん。

仕事に対するポリシーは?これからやりたいこと

「その瞬間を本気でやることです。今、ちゃんとやっておけば次につながるけれど、今、いい加減やると次はない。人間関係もなくなるし、信用は簡単に崩れます。『陰極まると陽となる。』と言いますが、とことんやりきったら、その人のタイミングで転換期がくるのではないでしょうか。私の場合、愛知万博でやり尽くし、次が考えられませんでした。単純なことですが毎日をやり尽せばいいのではないかと思います。そうしていくと、誰かとちゃんと出会います。人は人を呼びます。そして一つずつ与えられた仕事を丁寧にやるだけです。今日できること、今、全力でできることは何かと考えて毎日を過ごすことです。」

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「地域コーディネーターでいるときはできるだけ目立たないように心がけています。鶴岡ナリワイプロジェクトの主役はあくまでも参加している人。その人たちが生き生き輝くお手伝いが私の仕事です。ですから最初で最後のインタビューですよ(笑)。」

「コーディネーターは目立ってはいけない。黒子となり地元の人が誇りを持って輝くようにサポートするのが仕事です。ナリワイに限らず、みんなが自分の人生の主人公として歩めるような場を作っていきたいです。そして自分自身は、毎日一つ一つを大切に生きていきたいと思っています。」と敬子さん。

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鶴岡ナリワイプロジェクチームの皆をいつも引っ張っている敬子さん。これまでの人生を伺い、いろいろな経験と努力が、一本の確かな芯となりご自身の中にあるから、先に繋がっていくのだと感じました。そして皆がそれぞれキラキラ輝いていけるように、自分自身は日々を大切に一生懸命生きるという生き方を自ら率先している敬子さんと、これからも進んでいきたいと思いました。

(12月8日 インタビュー 文 俵谷敦子)


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