ナリワイインタビュー第14回目は、2016年に仲間と庄内里山自主保育の会を立ち上げ、ナリワイプロジェクトの事務局・インタビュアーを兼任し活動しているつづりかた蕗さんにお話を伺いました。
東京で過ごした学生時代
埼玉県出身の蕗さんは、高校卒業後、東京都内の大学で社会学を学んでいました。大学に入って間もなくホームヘルパー2級の資格を取得した蕗さんは、近所に住んでいる脳性マヒの女性の身の回りをお世話する仕事につきます。その方は、障害を持って生まれたものの明るい性格で、仕事は楽しくて、3年も続けることができたと蕗さん。言葉でコミュニケーションが出来ない瞬間が多々ありましたが、彼女を見守りながら「今、何を求められているか」を察して生活のお手伝いをしていきました。これが、「言葉ではないコミュニケーション」を学ぶきっかけになったと振り返ります。
子どもと関わることにのめりこんでいく日々
同時に、秋田県の山村留学の手伝いを頼まれたのをきっかけに「子ども」との関わりがはじまった蕗さん。ここで「子どもとどう付き合うか」ということを深く考えるようになりました。大学4年間を通して子どもと関わる中で、子どもが変わることを知り、「子どもが育つお手伝いをしたい、自分が子どもに何ができるか知りたい」と感じたそうです。
その後、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに活動している東京都練馬区の冒険遊び場と出会った蕗さんは、焚き火や水や土で思い切り遊ぶ冒険遊び場の活動にのめりこんでいきます。
そんな中、就職活動の時期を迎えた蕗さんは、「山村留学で住んでいた秋田県に住みたい。秋田で子どもに関わる仕事がしたい。でも、今すぐ秋田に飛び込むほどの勇気がないからまずは田舎の生活で役立ちそうなスキルを身につけられるような仕事に就きたい」と考えるようになりました。
試行錯誤の会社員時代
2008年、蕗さんは立ち上げ5年目のベンチャー企業に就職しました。名古屋に転勤になり、そこでコールセンター事務員兼営業本部ガーデナーとして、様々な仕事を叩き込まれたそうです。事務仕事より草刈りや伐採などの現場作業がしたくて入社した蕗さんでしたが、事務能力を買われ、愛知県内店舗の売上・予算管理やスタッフの行程管理など徐々に責任の重い仕事が増えていきました。日に日に帰宅時間が遅くなり、体調を崩しだした蕗さんは退社を決意。退職後、埼玉の実家に戻った蕗さんは、様々な派遣の仕事をしていきます。その時の経験から「お金を貰うためだけでなく、もっと自分が楽しくワクワクする仕事がしたい」と考えるようになりました。
その後、新たな会社に就職し、正社員として働いていた蕗さんに2011年3月11日、転機が訪れます。
「東日本大震災があって、私が当時住んでいた浅草の街が真っ暗になって、私が使っている電気を作っていたのは、福島原発だって気がついたんです。自分が全然知らない所でできたものを使い、知らない誰かの暮らしを踏み潰して生きていっていいのだろうかと、この事故はそういうものだと後ろめたい気持ちになりました。同時に、今、福島原発の事故で、東京の人が避難しなければならない事態になったら、想像もつかないようなパニックが起こるのではないかと恐怖と感じたといいます。この時、「会社を辞めて自由に生きていい。住む場所はここでなくてもいい。」と決心し、その足で姉が住む京都に向かいました。
お金が無くても楽しく過ごせた日々で決意した地方移住
蕗さんは、京都で山歩きにはまります。大文字山、比叡山などを登りながら山菜を採って来て調理する中で、こういう生活をしたいという気持ちが強くなっていったと振り返ります。
「私はやっぱり田舎に住みたいと思って調べていたら、『地域おこし協力隊』という募集を見つけたんです。募集が出ている中で一番条件がいいなと思ったのが山形県朝日町で、そこを含めていくつか応募しました。」
当時、ゆるキャラ「桃色ウサヒ」の弟子募集という変わった募集を出していた朝日町に応募した蕗さんは、面接で山形県朝日町に行きます。その時に、一泊二日で朝日町をめぐり、朝日町のエコミュージアムの取り組みと水や食べ物の美味しさに惹かれ、この土地に住みたいと思ったと振り返ります。
「朝日町から採用の連絡があり、2013年5月に移住しました。地域の面白い取り組みや頑張っている人を取材して町のHPで発信するという地域ジャーナリストの活動を2年間行っていました。町の人たちが桃色ウサヒを使ってグッズを作ったり、お菓子を作ったりして、どんどん町が盛り上がっていくことが嬉しく、また私が発信した町の色んな情報を全国のウサヒのファンの人たちが興味を持って知ってくれて、とてもやりがいがありました。撮影した写真と取材メモから面白おかしく、人に興味を持ってもらえるように文章を作っていくのが楽しかったんです。でも。真面目なテーマや取り組みは、あまり興味を持って貰えないことも多く、ゆるキャラがふざけている様子に、ファンが喜んでいると感じることが多くなりました。私は、だんだん、これでいいのかな。自分がやりたい本質から遠くなっていってしまうのではないか、と思うようになっていったんです」
(後編はこちら)
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